【志田富雄氏】英国が金売却に動いた1999年という時代
- #貴金属投資の基礎知識
- #金
2025年06月04日
いしふくコラムでは、読者の皆様への情報提供の一つとして、2025年より貴金属に関する四方山話や相場解説などを専門家に執筆いただきます。 専門家の深い知見に触れ、貴金属への興味・関心を持っていただければ幸いです。
今回は、経済コラムニスト志田富雄氏にコラム「英国が金売却に動いた1999年という時代」を執筆いただきました。

1983年に日本経済新聞社に入社し、証券部に配属。85年にロンドン支局(後の欧州編集総局)に赴任し、原油や金、非鉄金属市場を初めて取材。「すず危機」や北海ブレント原油が10ドルを下回る急落場面に遭遇した。それ以来、コモディティー市場の取材歴は30年以上になる。2003年から24年末の退社まで編集委員。09年~19年は論説委員を兼務した。コメなどの国内食品市場や水産資源問題にも詳しい。日経電子版「Think!」投稿エキスパート。日本メタル経済研究所特任アナリスト。
英国が金売却に動いた1999年という時代
執筆日:2025/06/02
発端はベルギーの売却
金相場の長期的な上昇を支えている大きな要因として、新興国を中心にした中央銀行の購入が挙げられます。ただ、1990年代から2000年代にかけて、中央銀行は巨大な売り手でした。私の手元に「GOLDのすべて '93 ― 投資とジュエリーの世界」(紀伊國屋書店)という本があります。日本経済新聞社が1992年9月に帝国ホテルで開催した「第5回ゴールドカンファレンス」の内容をまとめたものです。
その本の42ページにこんな記述があります。「92年の7月、ヨーロッパの金市場に衝撃が走りました。ベルギーの中央銀行が手持ちの金のうち、202トンを放出したとのニュースが伝わったのです」。当時のゴールドカンファレンスの参加者で、これが津波のような売却ラッシュにつながると考えた人はそう多くなかったはずです。

英国は底値で半分以上を売る
ところが、ベルギーに続いてオランダやフランス、英国、金信奉国であるはずのスイスまでが金売却に走ったのです。英国が保有する715トンの金のうち、半分以上の415トンの売却を発表したのは1999年5月。のちに首相になるゴードン・ブラウン氏が財務相の時でした。99年といえば金相場が一時250ドル近くまで下落し、今から見れば長期の上昇局面に入る前の底値(2001年にも安値をつけています)でしたから、後になって「英国の大切な財産を安売りした」と新聞などで批判されました。
止まらない売却に欧州各国も危機感を強め、英国が売却を発表した直後の1999年9月に欧州14カ国の中央銀行と欧州中央銀行(ECB)が金の売却量に年間上限(第1次協定は400トン)を設定することで合意しました。会合が米国ワシントンで開かれたのにちなみ、「ワシントン協定( Washington Agreement on Gold)」と呼ばれています。
金は究極の決済手段
99年の金相場が300ドルを下回る安値であったことに、大量売却を招いた時代背景があります。米国はクリントン政権下で95年にロバート・ルービン財務長官が就任して「強いドル政策」を掲げました。投資家だけでなく、中央銀行にとってもドル資産が魅力的に映り、金からドル資産へのシフトが起きたのです。
長い時間軸で見ればドルの価値低下(金相場の上昇)は継続するのですが、ブラウン英財務相も市場を覆うドル優位の雰囲気にのまれてしまったのでしょう。投資家にも参考になる教訓です。1999年には当時のアラン・グリーンスパン米連邦準備理事会(FRB)議長が米国の金売却の可能性について議会証言しました。議長は明確に「No」と答えました。理由は「金は究極の決済手段(the ultimate form of payment in the world)だからだ」。
今や米国とドル、米国債の信頼は揺らぎ、中央銀行の準購入量は年1000トン規模に膨らんでいます。円や日本国債も安心とは言えません。首相自らが「日本の財政状況はギリシャよりよくない」と明言しているのですから。
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