[an error occurred while processing this directive]
いしふくコラム

【松本英毅氏】NYの金取引所、COMEXの思い出

  • #貴金属投資の基礎知識

2025年07月23日

いしふくコラムでは、読者の皆様への情報提供の一つとして、2025年より貴金属に関する四方山話や相場解説などを専門家に執筆いただきます。 専門家の深い知見に触れ、貴金属への興味・関心を持っていただければ幸いです。

今回は、よそうかい代表 松本英毅氏にコラム「NYの金取引所、COMEXの思い出」を執筆いただきました。

NYの金取引所、COMEXの思い出

執筆日:2025/07/19

NYの金取引所、COMEXの思い出

今でこそすべての取引が電子取引のプラットフォームに移行してしまいましたが、その昔はニューヨークにも金の取引所がありました。だだっ広い取引所のフロアーに設けられた、ピットと呼ばれる円形のスペースに多くのトレーダーがひしめき合い、大声を張り上げながら取引を次々と成立させていたのです。取引所と言えば、ダウンタウンのウォール街にあるNY証券取引所は有名ですが、そのほかにも4ワールド・トレードセンター(4WTC)という、911で崩壊したツインタワーに隣接したビルに、ゴールドなどの貴金属や非鉄金属を扱うCOMEX、原油などのエネルギーやプラチナを扱うNYMEX、そして砂糖やコーヒーを扱うCSCEという、3つの取引所が入っていました。このうちCOMEXとNYMEXは1990年代後半、WTCから真っすぐ西に向かったハドソン川沿いのビルに移転したのです。

市場が大混乱に陥った、欧州金協定発動の日

新しい取引所のビルは、ハドソン川に面しており、上層階にある取引所の会員専用のレストランからは、自由の女神も見渡せるきれいな景色が広がっていました。取引所のフロアーはその4階と8階にあり、それぞれビルの4階分を打ち抜きにした、コンサートホールのような空間でした。当時は私もこの業界に入って間もないころ、オフィスからフロアーにいるブローカーに電話でオーダーを伝えるという仕事をしていました。

そんなある日、金市場では大事件が発生しました。忘れもしない1999年9月、欧州各国の中央銀行が、「金に関するワシントン協定」、いわゆる欧州金協定に署名したのです。当時はハイテクバブルの真っただ中、株式市場が連日連夜上昇する中で、金は持っていても金利を産むこともなく、保管コストが掛かるだけの資産ということで、どちらかというと厄介者扱いされていたのです。欧州を中心に世界の中央銀行が保有金の売却を積極的に進めていたことも弱気材料となる中、COMEXの金先物相場も1トロイオンス250ドル前後という、今では想像もつかないような価格で取引されていたのです。

欧州金協定では、加盟した中央銀行が今後5年間は保有金の売却を、一定量に制限することで合意しました。それまで保有金の売却を積極的に進め、下落相場を主導していた中央銀行が態度を一転させたのですから、市場が混乱に陥るのも当然です。合意は1999年9月26日に発表されましたが、NY金価格は直前の24日に267.9ドルだったのが、翌27日の終値は281.9ドル、28日は308.1ドルと、2日間で10%急騰するという、大荒れの展開となりました。

いくら待っても取引の確認ができない、長い一日

当時の取引は、ピットの中でトレーダーたちが顔を突き合わせ、時には独特のサインを用いた手振りのジェスチャーで、時に罵声に近い大声を張り上げて取引を成立させ、それをチケットに手書きで記録しておくという、極めて単純で原始的なシステムで行われていました。今にして思えば、よくそれでトラブルが起きなかったなと思うようなやり方ですが、不思議と問題は起こらなかったですし、優秀なトレーダーならこちらの意図を汲んで絶妙のタイミングで売買してくれるなど、それなりにメリットもあったと思います。しかしながら、この日の大混乱の中では、流石にまったく機能しなかったようです。

当時のNY金市場は、現地時間の午後1時20分に終了していました。電子取引というものもなかったので、翌日の朝まで取引は行われません。取引終了後には本日行われた取引をフロアーのブローカーと突き合わせて、間違いがないかを確認した上で自分の顧客に報告して終了という、のんびりとしたものでした。ところが、この日は全く様子が違いました。夕方になっても確認の電話がフロアーから掛かってこず、こちらから電話をしてもつながらないという状況が続いたのです。あたりが暗くなってきても、全く埒が明かなかったので、私は仕方なく取引所まで歩いて向かいました。どのような状況になっているのか、自らの目で確かめたかったからです。新しい取引所の周りは、きれいな公園になっているのですが、そこに着いてみると、大勢の関係者が手持ち無沙汰に佇んでいる姿が見えました。取引所の人間は、ジャケットと呼ばれる独特の派手な上着を着ているので、すぐに分かります。知り合いのトレーダーを見つけて様子を聞くと、すぐに全ての取引が問題なく行われたのかどうかを、確認できる状況ではないとの返事が返ってきたので、その日はあきらめて家に帰った記憶があります。結局、全ての取引が確認されるまでには、1週間くらい掛かったのではないでしょうか。

今では普通の、オフィスビルに生まれ変わっています

そのような思い出深い取引所ですが、今は普通のオフィスビルディングに生まれ変わっています。気になるのは、あのフロアーの広い空間が一体今はどうなっているのか、なのですが、今となっても知り合いが中にいるわけでもなく、まったく見当がつきません。すべてが電子取引に移行した際、コンサート会場にでもならないかと密かな期待をしていたのですが、それは叶わなかったようですね。

COMEXがあったビルディング
CMEグループ(取引所)のサインはありました
ビルの前は、きれいな公園です
遠くには、自由の女神も見えるのですが
金・銀・プラチナのご購入は石福金属興業ネットショップで
石福金属興業ネットショップ
画像をクリックすると石福金属興業ネットショップへ遷移します
本コラムをお読みいただくにあたって
  • 本コラムは貴金属に関する情報提供を目的としたものであり、特定の金融商品の購入・勧誘を目的としたものではありません。
  • 本コラム掲載の文章は、全て執筆者の個人的見解であり、当社の見解を示すものではありません。また、文章の著作権は執筆者に帰属しており、目的を問わず、無断複製・転載を禁じます。
  • 本コラムの情報を利用したことにより発生するいかなる費用または損害等について、当社は一切責任を負いません。実際の投資などにあたってはお客様ご自身の判断にて行ってください。
  • 掲載内容に関するご質問には一切お答えできませんので、あらかじめご了承ください。